間違いだらけの職能給
〜医療機関の人事制度はこう考える〜
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T 職能給をキチンと理解しよう
1-1 職能給とは何か
 職能給というのは「職能(職務遂行能力)資格制度に基づいた給与制度」の略とされる。この職能資格制度というのは昭和40年台に賃金研究の大家である楠田丘氏が提唱をし、爾来日本の人事制度のスタンダードとなっている。これに基づいた独特の給与制度(=狭義の職能給)と共に現在多くの企業が導入をし、一応の定着を見ている。医療業界でもこの職能給制度を導入しているところがあり、能力主義時代の給与制度として欠かせないスキームと言われている。

1-2 職能資格制度とは何か
 職能資格制度というのは要するに「仕事をこなす能力のランキング制度」と考えればいい。例えば、看護師資格取得後1年目(初任)を3等級というランクにしたとすれば、その3等級に必要な知識、技能、行動等を要件として設定する。では2等級の看護師に要求される知識、技能、行動等は何か、さらに1等級ではどうか、というように上位等級になるに従って高い職務遂行レベルを要求する形(=等級要件)になる。この場合、原則として3等級の要件をクリアすると2等級に昇格できるが、これがより難しい要件にチャレンジすることを促す。この方法は、「自己を高めたい」という個人の欲求と、「より良い仕事をしてもらいたい」という事業主の思いをマッチングできる理想的な人事体系であり、長期勤続による潜在的な能力のレベルアップを重視した戦後日本ならではの思想(発明)であったとも言える。

1-3 職能資格制度の根本思想
 職能資格制度の思想の根本は、担当職務の各等級に要求される要件の羅列で職務能力を区分けするという表層的なものではなく、人の持つ本質的な職務能力(保有能力)に光を当てようとしていたことにある。これは端的に言えば、製造課長が立派に務まる人材であれば営業課長の職も慣れるまでに多少時間はかかるが十分にこなせるだろう、という「保有能力」を中心課題としているのである。職能資格制度は2つの等級要件(汎用的な等級概要と職務毎の職能要件)というフィルターを通して広い意味での保有能力を評価すると同時にその開発を促し、それを人事諸制度と統合させることを目的としてきた。

1-4 職能資格制度の隘路
 近年、この職能資格制度も時代の流れに従って疲労を起こし始めた。その理念は失われてはいないものの、比較的安定した経営環境下で長期の競争を前提とするこの制度は、短期的な業績や発揮能力を重視した方向への対応が難しくなったのである。不安定な前例なき時代背景、既得能力の陳腐化、就業意識の変化、多様な能力を必要とする流れ、給与の減少傾向もこれを促進させる要因となって、徐々に職能資格制度と職能給は「使えない」ものとされつつある。この職能資格制度の定着に失敗した例やこの制度そのものに対する批判も多いが、その内容は「基準が明確に設定出来ない」という一点に集約される。では基準の明確化をねらってさらに具体的詳細な等級要件を設定すればいい、という方法は単に技能要件を細分化して制度の硬直化を招くだけに終わり本質的な解決には結びつかない。また詳細に技能要件を規定してもそれは時代のスピードについていけず陳腐化してしまうことが多い。具体化を追求して数値やポイントを基準にした等級要件も適用範囲が限られ、かつその数値の妥当性にも様々な問題が生ずる。つまり単なる基準の具体化、詳細化ではこの問題は解決できないのである。 しかし給与に下方柔軟性を持たせる意図をもって能力主義を導入するのであれば、能力が下がったことを証明するそれなりの基準が必要とされるのであるが、表面的には具体性が乏しく降格を思想に織り込んでいない職能資格制度ではその実現が難しいのはやむを得ないところである。
 このように本質的な能力(保有能力)を等級要件で翻訳する試みは、「能力をカネに変える」局面で曖昧性の問題を超えられないのである。そもそも下方柔軟性のある給与システムには職能資格制度は適合しないのかもしれない。

1-5 コンピテンシーによる職能資格制度のリニューアル
 最近、「コンピテンシー」という心理学由来の概念でその説明が不足していた部分を補い、職能資格制度は新たなステージに立ちつつある。米国生まれのこの概念は文化の違いから多少日本的に馴染まないところもあるかもしれないが、これは仕事の出来る人間の熱意とか使命感といった、高業績を挙げる人材の根源のところからその行動の理論を構築している。これは職能資格制度の所期の思想と相通ずるものがある。
 このコンピテンシーのアプローチを使って「望まれる具体的な行動」をベースに等級要件の再構築を図る動きが盛んになってきた。そもそも職能資格制度はその等級に要求される能力をコンスタントに発揮してもらうことを期待しているが、その能力発揮にかかる行動を具体化して等級要件に織り込んでいく方向であれば、コンピテンシーとは親和性が高い。もちろんこの方法で問題がすべて解決される訳ではないが、確実に一歩前進を見込むことが出来る。


U タイプ別職能給設計のポイント
 前項では職能給の本質と課題を整理してきたが、この項では職能給をもっと広い概念でとらえ、「職員に要求したい能力や行動を洗い出し、それを基準として人事評価制度と給与制度を構築するもの」と定義をして考えたい。給与制度にしても旧来の「年齢給+能力給」のパターンが唯一ではないため、柔軟な制度設計を目指すべきである。ここでは給与制度の設計パターンをタイプ別に紹介をするが、その前に医療機関における職能給設計の全般的なポイントを述べておく。

2-1 職能給設計のポイント
1)原則として年齢給は設定しない
 医療業界は基本的に年齢での運用は薄い業態である。そもそも年齢給には男性社会の生涯生計カーブを想定した男女差別的な発想が根底にあり容認できない。ただし加齢によって確実に貢献度が上がる業態であれば導入すべきだろう。
2)キャリアを重視した体系にする
 資格取得後のキャリアを重視する「キャリア給」の考え方を導入する。これは特に看護師の給与決定において重要である。中途採用時の給与決定にはキャリアを基礎とした給与表が欠かせない。
3)勤続給は勤続奨励のメッセージ
 これは退職金と同類。つまり雇用のリテンション(引き伸ばし)効果をねらうものである。ゆえに何年くらいは勤めて欲しい、といった観点で設計する。例えば、勤続4年までは年2000円、5年目以降は1000円、10年目以降はゼロ、という設定も考えられる。これは勤続手当として基本給からはずしてもいい。
4)能力等級は原則として2つでいい
 職能資格制度や職能給設計の重要な骨格である「等級」だが、実は基本形は一般職員層と管理職層の2等級でいい。よって給与表(給与レンジ)も2つ。中間管理職の層が厚くなれば3等級にする。これ以上は給与体系に余計な混乱と維持管理の困難さを惹き起こすためお勧めしない。等級の数が多ければその等級毎に要件が必要になる。さらに等級毎に給与表を設定などすれば維持管理ができずに破綻するケースが多い。本来、等級区分というのは仕事に要求される内容の次元が明らかに異なる場合に設定するものである。わずかな能力差に等級を設定すると人事制度を硬直化もしくは骨抜きにしてしまう。このわずかな能力差は昇給や賞与で反映すればよい。ゆえに管理職層が居なければ等級自体が存在しないことになる。現場の取りまとめやちょっとした管理業務を任せるのであればそれはリーダー手当等で処すべき。
5)職能資格制度に基づいた等級制度を導入したい場合
 しかしながら、技能の発展段階を明確にし、ステップ・バイ・ステップで習い事のように級を上げてモチベーションを図る方法も効果的な場合がある。こういった育成を人事制度に織り込む場合は、一般職層を対象に「得るべき知識・技能」や「望ましい行動」を明確にして評価によって級が上がるしくみを、基本給ではなく「職能手当」として導入する方法もいいだろう。
6)職務毎に異なる給与体系を設定する
 医療機関での人事制度を構築する場合、多くのケースで次のような職務系(仕事の特性による区分)にまとめられる。
・医師 ・看護職系 ・介護職系 ・コメディカル職系 ・事務職系 ・補助職系
この職務系それぞれに等級や給与制度を構築することになる。
7)諸手当
 減らせばいいというものではなく、せっかく出すのであるからその効果性をねらって再検討すべきである。
8)賞与
 これこそ自由に設計できる給与の一つである。単純な基本給×月数ではせっかく出す賞与に効果性を持たせられない。資格や能力等級、役職のウェイトを置き、人事評価を反映した方法が望ましい。(導入当初は優秀者への加算方式がやり易い)
9)退職金
 これは勤続奨励の給与である。勤続何年まで引き留めたいか、というメッセージを出すべきもの。ある医療機関では10年までで上昇をストップさせ、それ以後は特別な功労加算をするしくみにした。今や全員を定年まで引き留める選択をするところは少ない。

2-2 規模と特性別の職能給導入パターン
【タイプ1】職員一人一人の顔がよく見える環境にある場合
 これは実質的に管理者が先生一人であるケースが多い。
・ここでは諸手当の整備をしておく程度で基本給はシステム化しないほうがいい。
・大切なのは先生と職員のコミュニケーション。昇給や賞与のときだけでなく、週報や面接などを定期的に実施して業務改善や能力向上を促すのが望ましい。
【タイプ2】200名程度の規模までで部門長を置いているがオーナー色の強い場合
 このレベルでは部門長がリーダーとしてあまり機能していないケースが多い。経営者であるドクターも診療で忙しく、職員の活動は断片的にしか把握できていない。しかし職員は管理者を飛ばして経営者に依存することが多いため、組織的に混乱している。こういった組織の場合は指揮命令系統の整備と管理者としての自覚を育成することが評価制度導入の早道となる。
・経営者のビジョンを管理者と共有する会合を開催し、そこで自分たちの果たすべき役割(ミッション)と目標を認識してもらう。次にそのミッションと目標を自分の部署で共    有する会合を開催し、前述のコンピテンシーをその職場毎で設定していくプロセスを踏むことが成功の鍵となる。
・等級制度は基本的に一般職員層と管理職層の2つでいい。そうなれば昇格制度に使う等級要件は不要で、昇給や賞与の評価で使うコンピテンシーを利用した「行動評価表」の設定をすることが焦点となる。
・給与制度について前述の職務系(看護職系、介護職系、コメディカル系、事務系)に合わせた給与表(基本給表)を設定する必要が出てくるが、これは定年までの想定をする必要はなく、キャリア20年程度までをカバーし、各階層の上限金額を決めておけばそれほど問題なく運用できる。
・ただし給与管理にはまだ不安があるレベルなので、基本給はキャリア給とし、人事評価の反映は別枠の「加算給」で行う方法がよいケースもある。
【タイプ3】200名を超え、一応は機能的に組織として動いている場合
 人事の専任担当者を置くことが出来る規模であり、各部門長もある程度機能的に動いている。事業運営もオーナーの独断ではなく、比較的民主的に行われている。人事諸制度も体をなしつつあり、経営者の裁量のみではなく、制度が組織を動かすようになってきている。ただし前述<タイプ2>の「ビジョンの共有」が出来ていないケースも多いので、ここから始める必要があることも多い。
・中間管理職層も厚くなりつつあるため、3等級程度は職能資格制度として設定ができる。この場合、J(ジュニア)クラス、S(シニアクラス)、M(マネジメントクラス)の3階層を設定する。JからSの昇格は能力主義、SからMの昇格は任命になる。Jクラスには知識技能の習得促進と望ましい行動を定着させる等級要件、Sクラスにはリーダーもしくは専門職としての等級要件の設定が必要である。Mクラスは実際は科長レベルなど限られた役割の任命となるため、特に要件を設定する必要はない。しかし問題行動を多面評価で洗い出して指摘、育成する必要は生ずる。
・JからSへの昇格は論文やプレゼンテーションなどの審査を課すことが望ましい。つまり昇格審査は、Jクラスの等級要件充足+Sクラスの等級要件の充足可能性+過去の賞与時評価 という視点で総合的に行うことになる。
・給与制度は全職種系(看護職、コメディカル職、事務職他)別に給与表を設計し、定年までのモデルも設定しておくことが望ましい。また人事評価による昇給についてもどういう方法で行うかをシステム化しておく必要がある。一般的には段階号俸表もしくは複数賃率表を使う。
 段階号俸表は給与表の号の上昇度合いをその都度の人事評価で決めるもので、評価による昇給の累積差がつきやすい。ただし一度差がついてしまうと逆転は相当困難になる。一方、複数賃率表は標準評価(B評価)でのキャリアモデルを軸として人事評価による絶対額の展開をするものである。これは逆転可能な給与システムであるが、絶対額の違いはあるものの、評価が変わらなければどの評価ランクでも昇給額は同じ(つまりずっとA評価の人とずっとC評価の人では基本給の絶対額は異なるが昇給額は同じ)、という妙な現象が起こる。


V 人事評価表の作り方と評価者の育成
3-1 人事評価表を作る前に
 どのような立派な制度を構築しても最後は人の問題が残るが、これは人が人を評価 するシステム自体が持つ宿命である。つまり「正確な評価ができない」という問題だが、そもそも正確な評価など存在しないのであって、唯一あるのはその個々の医療機関が職員に対して行った要求に対する遂行度合いの評価だけである。これは職能資格制度による能力基準であろうが、短期の職務基準(この半期の目標など)であろうが同じ。つまり、どのような知識技能を得、どのような行動をして、どのような成果を出して欲しいか、という要求をキチンと出すことが評価の原点といえる。これの無いところへ単純に評価のための評価表を導入したりすれば、それは反発を買って従業員満足度(エンプロイー・サティスファクション)を落とし、引いては経営の質までダウンさせてしまう。

3-2 人事評価表設定と運用のコツ
 技術的なことになるが、次に人事評価表を設定するにあたっての留意点を述べる。 1)全体のビジョンに沿った部門方針を立てる。全体のビジョンは職員全体が共有すべき姿勢や行動(患者様第一主義など)に反映される。
2)部門方針を達成するために必要な行動を検討する。医療機関の一般職員においては短期的な数値目標などは設定が難しいため、行動ベースの評価項目を設定することが多い。例えば、「入院患者様のことを考えた行動をしているか」という評価項目では言葉足らずであるため、具体的にはどのような行動が喜ばれるか、ということを職員全員を巻き込んで検討し設定すると効果的である。この具体的な行動をベースに評価項目を設定することがイメージ評価の弊害を低減し、さらにはどういう行動をとればいいのかを徹底させるメリットがある。
3)評価方法は、手間はかかるが、多面方式が望ましい。病棟主任などは日勤がほとんどであるため、あまり顔を合わせない夜勤者の評価が難しい。また、評価をする上司の視点が偏っていることも多い。こういう弊害をなくすために多面評価が採用されてきている。これは上司評価はもちろんであるが、自己評価と同僚の評価(できれば文章で)も同時に出してもらい、それを参考に上司が本人と面接をしながら評価をする方法を採る。これはより多くの情報を集めて公平な評価をするという観点から欠かせないものであり、世界中の先進企業で導入されている。

3-3 人事評価を行う者の育成
 実はこれは人事評価における根源的でかつ最後まで残る課題である。例えば「あんな師長(事務長)に私の評価などされたくない」という言葉を多くの医療機関で聞く。この解決に妙手はないが、これは管理職の「問題行動」が指摘、教育されていないことが問題を大きくしている。中小医療機関は確かに人材難だが、だからといってそれを放置しておくのは経営陣としてもっと問題である。管理職を育てるためには人事評価の観点からは部下や同僚から問題行動の指摘をしてもらい、その改善に向けて経営者と話し合い、改善をしてもらねばこれは解決しない。この指摘を受けても改善が見られない者は明らかに管理職適性が欠落しているため、部下のためにもチェンジするしか手がない。


文責:株式会社名南経営 常務取締役人事労務統括 小山邦彦